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光と影の間で──古川周賢が“学問×禅”をつないだ道
光と影の間で──古川周賢が“学問×禅”をつないだ道
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光と影の間で──古川周賢が“学問×禅”をつないだ道

Author

Nathan Sanders

Published Sep 01, 2026

学問の言葉で生き方を説明しようとした時、突然、沈黙が足元を照らすことがある――。古川 周 賢はその“橋”を、禅と哲学の両方から渡してきた住職だ。早稲田大学文学部から東京大学で博士号へ。そこから京都の道場で13年の禅修行へ。今は恵林寺(臨済宗妙心寺派)住職として、座禅と講座を通じ「己事究明」を現代の言葉にしていく。

古川 周 賢は、臨済宗妙心寺派の恵林寺(乾徳山恵林寺)で住職を務める禅師。1967年生まれで、早稲田大学文学部卒、東京大学で哲学(ドイツ近現代・宗教哲学)を専攻し博士号取得後、京都紫野の大徳専門道場で13年間の禅修行を積んだ。

項目 要点
氏名 古川 周 賢(ふるかわ しゅうけん)
宗派・役職 臨済宗妙心寺派/乾徳山 恵林寺 住職
生年 1967年生まれ
学歴 早稲田大学文学部 → 東京大学大学院で哲学専攻(博士号)
禅修行 京都紫野の大徳専門道場に掛搭、約13年間
寺での歩み 2014年 副住職/2016年 住職
主な活動 講座・講演、慶應丸の内シティキャンパス(MCC)で「禅の智慧」等

“沈黙の前”に、学問がいた:古川周賢の二つの軸

古川 周 賢の話でまず目を引くのは、禅の人という前に、哲学の人だった経歴だ。早稲田大学文学部で学び、次に東京大学大学院人文社会系研究科で哲学を専攻する。専攻領域は「ドイツ近現代哲学」「宗教哲学」とされ、近代以降の思考が、信仰や宗教の意味をどう扱ってきたのか、その筋道を追う学びだったと伝えられる。

多くの人がイメージする“突然、禅に入った”という単線ではない。むしろ、理屈で世界を見ようとしていた時間が、その後の沈黙をより強く求めさせたように見える。禅は説明を否定する場というより、「説明の外側」を見せる方法だ。哲学で積んだ前置きが、のちに座禅という体験に回収されていく感覚がある。

博士号の意味:答え探しから“見つめ直し”へ

博士号の取得は、何かを“証明する”ことに近い。だが古川周賢が歩んだ方向は、その先で“自分が問いの側に立つ”ことだった。学問の習慣は、問いを立て、根拠を組み、概念を整える。禅の修行は、それらの働きを止めて、なお残るものを観察する。両者は対立するようで、実は同じ問い――「人は何によって動くのか」を別の角度から照らしていたのかもしれない。

29歳の掛搭が転換点:京都の大徳専門道場での13年

転機が来るのは29歳の時期だとされる。京都・紫野にある大徳専門道場に掛搭し、約13年の禅修行を積む。一般に、禅の修行は時間を浪費するように見えることがある。けれど古川周賢の歩みは、むしろ“学問と禅の両方で勝負できる身体”を作る試みだった。

修行中に鍛えたと語られているのが、「得意なことでも嫌いなことでも勝負できる総合力」だ。ここが、経歴の読み取りの鍵になる。苦手に耐える力、好き嫌いの揺れを越える力。それらは座禅の時間の中だけで育つものでもなく、現実の人間関係の中で磨かれていく。

“勝負できる総合力”は、指導の言葉にも出る

禅の学びは、理屈よりも実践に刻まれる。けれど、その実践が最終的に“誰かに伝える言葉”になるとき、修行の強度は表現に漏れ出す。古川周賢が講座や講演で、座禅だけでなく内観へ導く構成を取るのは、この総合力の思想が根底にあるからだろう。座禅は一人の行為だが、学びを他者に渡す瞬間には、言葉も必要になる。

恵林寺での歩み:副住職から住職へ(2014・2016)

古川 周 賢は、乾徳山 恵林寺で役職を担っていく。2014年に副住職、2016年に住職に就任したとされる。ここで注目すべきは、禅の実践者が“寺の運営者”へ移っていくプロセスだ。修行の時間は内側に向かうが、住職の仕事は社会の時間に触れる。

住職になることは儀式の昇格だけではない。行事を組み、来訪者に対応し、修行体系を保ち、地域や遠方の人々へ学びを開く。古川周賢が全国各地で「禅の智慧」「禅と日本文化」などの講座・講演を行っているのは、寺の外へ思想の説明責任を持つ姿勢とも読める。

“禅と日本文化”が選ばれる理由

単に坐るだけではなく、日本文化の中で禅がどう働いてきたかを扱う。そうしたテーマが選ばれるとき、聴き手は宗教色の濃い話を求めているとは限らない。むしろ生活や仕事、習慣の中で変化が起きる理由を知りたいことが多い。古川周賢は、その入口として文化への接続を選んでいる。

仕事の言葉へ翻訳する:MCC「禅の智慧」講座の狙い

古川周賢が講座を重ねる場所の一つが、慶應丸の内シティキャンパス(MCC)だ。そこで「禅の智慧」講座を担当しているとされる。大学のキャンパスや寺の本堂だけでなく、都市型の学びの場で禅を扱うことには意味がある。参加者の多くは、宗教実践者というより、仕事や人間関係で行き詰まりを感じ、視点の整理を求めている。

講座では座禅と内観を通じて「己事究明」を促す、という説明がなされる。「己事究明」は、自分自身の問いを“他人の議論”や“環境のせい”に置き換えない姿勢だ。これをオフィスの言葉へ訳すと、“なぜ自分は同じ壁にぶつかるのか”という問いになる。

ビジネスパーソンに届く構成

禅の教えは、抽象のままでは伝わりにくい。古川周賢の講座が座禅体験を組み込むのは、抽象を身体に落とすためだろう。机上の心理学と、実際に呼吸や姿勢が変わった後の判断は別物になる。講座の場で起きる“内側の変化”が、学びを現実の意思決定へつなぐ。

著作が示す対話:鈴木大拙の新訳完全版を手がける

古川周賢の著者としての活動として挙げられているのが、『禅と日本文化』新訳完全版(鈴木大拙著、碧海寿広翻訳)の紹介・翻訳を含む形での関与だ。ここで重要なのは、禅の思想が日本の文化をどう変えたかを、単なる解説で終えず、読み直しの作業として続けている点である。

禅の古典は、時代ごとに“読み方”が変わる。語の選び方、比喩の運び方、そして哲学的な背景の説明量が違うと、読者の理解は一気に変わる。古川周賢が学問の訓練を持つからこそ、翻訳や新しい見取り図の提示が可能になるのだと推測できる。

戦国大名を例にする語り口:武田信玄という接点

講演やVoicyなどの放送では、戦国大名の武田信玄を例にリーダーシップや社会問題への禅的視点を語る、と伝えられている。外部の素材で禅を語る手法は、禅に馴染みがない人ほど理解しやすい。信玄は“歴史の人物”であると同時に、“判断”を求められ続けた現場の象徴でもある。そこで禅は、理想論ではなく意思決定の質として立ち上がる。

“十牛図”コースで何をするのか:自己探求を設計する

古川周賢は、座禅や禅寺での体験を組み込んだ「十牛図」コースも実施しているとされる。十牛図は、自己のあり方をたどる道程として語られやすい。ポイントは“絵解き”で終わらせないことだ。体験と振り返りをセットにすることで、理屈は内側の感覚へ移る。

自己探求と人生設計のサポートをうたうのは、ここでも翻訳の技術が必要になるからだ。十牛図の段階は、個人の置かれた状況によって意味が変わる。仕事、家族、健康、孤独。どれが主題になるかで、見えるものが違ってくる。その違いを前提に、学びの道筋を組むのがコースの実務なのだろう。

海外の視点:タイでの暮らしが“距離”を生む

また、海外ではタイで長年暮らしてきたという。こうした経験は、禅を“日本の文脈だけ”で閉じないための距離になる。宗教は国境を越えるが、言葉のニュアンスや社会の前提は変わる。異なる環境で長く生きた人が、同じ教えをどう言い換えるのか。その技は、翻訳の上手さや比喩の選び方に出やすい。

現代人の問いに寄り添う理由:己事究明の現場

古川周賢が提供しているのは、“答えの提示”というより“問いの位置を取り戻す場”だ。現代のストレスは、外部の圧力だけでなく、自己像の硬さから生まれることがある。同じ状況でも、世界の見え方が変われば選択は変わる。禅はそこに直接介入しようとする。

そのために使うのが座禅であり、内観であり、講座での対話だ。座禅の時間は短くても、終わったあとに残る感覚は長い。古川周賢の語りが、学問の背景と実践の体験を行き来するのは、知的好奇心だけで終わらせず、人生の